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ご飯・空手・渓の日記


by 4433yoshimi
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関西漂流

3月15日、兵庫県明石市在住の従姉から「危なくなったら明石においでよ」とメールがあり、その夜には吐渓とふたり、新神戸駅に新幹線から降り立っていた。ちょうど仕事が暇だったので、東京で余震におびえているより、しばらく会っていない従姉と叔母に会ういい機会だと思ったのだ。駅から従姉が運転する車で彼女が手配してくれた明石駅近くのビジネスホテルへ。
「きったないホテルやけど、ふたりで8,000円、安いやろ。ほんまに汚いから寝るだけやで」
と言っていたので覚悟していたが、現状は予想をはるかに超えていた。部屋のあちこち、布団の上にまで髪の毛は落ちているし、部屋といえばビルの一室に壁紙を張って薄いカーペットを敷いただけの、急ごしらえの安アパートといった感じ。それでも余震続く東京を離れ、久しぶりに熟睡できたのであった。

翌日は、携帯で検索して予約した神戸元町近くの東急系ホテルへ。どんなホテルだろうと初日よりはましだろうと思ったのだが、高級感あるれる落ち着いた実にいいホテルだった。しかも、ふたりで6,500円。なぜこんなに安いのか不思議だったが、週末は18,000円とのこと。とりあえず金曜までそこに泊まり、土曜日は三宮のホテル1泊7,000円を予約。いやはや、これで6月に予定していた空手観戦をかねた関西旅行は行けなくなってしまったなあと思いながらも、仕方ないねと気持ちに折り合いを付けた。
関西漂流_f0207325_15564034.jpgホテルにチェックインして夕方、叔母がひとり住むマンションへ。従姉夫婦と共にすき焼きをご馳走になった。以前、焼き肉屋を経営していたのでいい肉のルートがあるらしく、この叔母の仕入れる神戸牛は実においしい。その日もたっぷりふるまわれ、吐渓が相好を崩す。それでもいつもより量がひかえめだったのは、まだサバイバル状況下のスイッチが入っていたからだと本人は言うが、遠慮していたのかも。
ホテルに戻ると、ロビー脇のインターネットを繋げられるブースで、若いファミリーのお父さんが首っ引きで情報収集しており、傍らの赤ん坊を抱いた奥さんと、もっと西へ行くべきかどうか検討していた。その真剣な面持ちに、こちらまで緊張感が増してしまうのだった。その光景は、連日、朝となく昼となく夜となく、様々な家族達によって繰り返されることとなる。家族を守るため、幼子を守るためのその闘いぶりに、こちらの胸まで熱くなった。
21日に帰宅するまで、六甲山をケーブルで登って登山道・アイスロード(その昔、山の氷を運び出していたルート)で下ったり、神戸の中華街や港、明石城、明石の魚の棚(魚市場)を見物したりして過ごした。
関西漂流_f0207325_15573123.jpg
食事はほとんどはホテル近くの金時食堂。台の上に並んでいる煮物や揚げ物などの小鉢や小皿をとってきてご飯のおかずや酒のあてにするのだが、これが安くておいしくて、本当に重宝な店だった。特に、出汁入りの卵料理と粕汁のおいしさときたら、東京では絶対に味わえない種類のおいしさなのだ。関西漂流_f0207325_1559129.jpg
出色だったのは、従姉と叔母に連れられていった明石焼きの老舗「松竹」。これまで明石焼きとは、出汁で食べるふわふわの卵焼きだと思っていた。けれど、この店の生地は卵の分量と粉の分量の配合が絶妙で、粉の味わいがとろりとして深く、これまで食べた明石焼きとは別物だった。いやはや、さすがは元祖、3代目のご主人の、いかにも職人といった寡黙な風体が好もしかった。関西漂流_f0207325_15581739.jpgお好み焼きや焼きそばも、地元の人しか行かない古くて今にも倒れそうなバラック風の店に食べに連れていってもらったのだが、大阪とは違う素朴さに驚いた。中に入っている具を味わうのではなく、本当に粉の味を味わうための少量の具であり、焼きであり、ソースなのだった。
魚の棚では、毎年、従姉から送られてくる手作りのクギ煮の材料であるイカナゴの生を初めて目撃。小さいのから大きいのまで、その日に採られたイカナゴが山盛り1キロで400~500円ほど。従姉は10キロほど炊くという。形を崩さぬようにじっくり火を通すのは、かなりの労力だろうと頭が下がる。住宅街を歩くと、そこかしこからイカナゴを炊く甘じょっぱい煮魚のにおいが漂ってくる。においで感じる季節の風物詩なのだった。
関西漂流_f0207325_1601350.jpg
帰京前夜の20日は、新幹線が止まる西明石駅近くの叔母宅に泊まらせてもらった。ネギ卵焼きやイカ大根煮、キムチ鍋など、久しぶりに食べる家のご飯に、胃も心もホッと落ち着いた。
「ずっとおばちゃんとこで泊まったらよかったのに。いつでも遊びにきたらええよ」
母の妹で、子供の頃は我が家で暮らしていた叔母のあたたかい言葉に、しんみり。神戸の震災で被害を受けた叔母や従姉ならではの優しさや心配りが身に染みた旅だった。

東京に戻っても、まだ福島原発の危機的状況は回避されてはいなかった。もう3月も終わるというのに収束の報を聞けないでいる。ホテルで見たあの親子達は、今頃、どこをさまよっているのだろう。
by 4433yoshimi | 2011-03-27 16:05