ご飯・空手・渓の日記


by 4433yoshimi
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またいつか会いたい

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心安らかに生きることが上手な人と下手な人がいる。運動神経がいいとか悪いとか、指先が器用とか不器用とかあるように。私はそれほど上手な人ではないけれど、ふたつ年下の従弟はとても下手な人だったのだと思う。

子供の頃はおしゃべりで陽気な子どもだった。北海道の田舎町で私達は育った。歩いて数分の距離に住んでいたから、小さい頃はよく遊んだものだ。お転婆だった私は、彼を子分のように従えて冒険に出かけたりもした。目がくりくりと良く動く、頭の大きな天然パーマの彼は、お茶目で気のいい笑いを誘うキャラだった。

十代の後半で前後して私達は東京へ。お互いひとり暮らしだったから1ヵ月に一度くらい会って食事をしたりカラオケ屋に行ったり、まるで本当の弟のようにつきあってきたつもりだった。

それがある年、何かの拍子でケンカになり、彼にとって私はそれほど好きな人ではないのだと気づかされた。まるで乗り越えるべき父を乗り越えることができなくて挫折した息子のように、私にある種の憎しみすら抱いていたのだと知ったことは衝撃だった。愛されてはいなかったのだ。それでも私は両親を亡くした彼を何かと気遣い、つかず離れずの距離で見守ってきた。

数年前から彼は、原因不明の体の不調に悩み、あちこちの病院を渡り歩くようになった。そしてたどり着いたのが心療内科だった。それ以来ずっと薬を飲んでいる。一時は仕事も出来ないほど朦朧としていたが、ようやく薬の量と種類があってきたのか、最近はごく普通に仕事もし、会話もしている。
けれど、それはもう私の知っている彼ではない。私の知っている快活でよく笑い、よくしゃべり、そして時には腹の底から怒り嘆く彼は、もう死んでしまったんだ。彼は別の人になったんだなあとしみじみ思う。それでも彼の命が続いていることが大事だから、昔の彼が死んでしまうのは仕方がなかったことなんだろう。

そのことを自分に納得させるのに、あともう少し時間がかかりそうだ。
子供の頃の彼の無邪気な笑顔が、やるせない思い出になった。
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by 4433yoshimi | 2013-12-26 11:07

冬じたく

今日は休み。午前中で家事は終了したので午後はまったり。コンニャクの味噌田楽や白菜の生を自家製味噌で食べたりしながら焼酎のお湯割りを。これで家から数分で酒場に行けるシチュエーションだったら行ってるよなあ。他の人が食べる事を想定した料理は、それなりにインパクトがあるものを心がけるが、自分だけならなるべく手のかからない素材そのもの、薄味にする。そうして、いざ、食べると「な~んか物足りないなあ」となるわけである。買い置きの食材はご飯のおかずか果物しかないので「あ~ピーナッツがあったらなあ」とか「アタリメ食いたい~」などと妄想しながら、そのうち焼酎でいい心持ちになって寝てしまうのがパターン。本当に平和だ。
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もうかなり時間はたったが、バブルが弾けて以来、取引先が倒産したりして仕事では大変な時期が続いた。雇っていた人に辞めていただいたり事務所を閉鎖したり、コストカットできるところは限界までカットして今日に。心安らかに過ごせるようになったのはそう遠い昔ではない。会社を続けるのも大変なのである。そろそろ店じまいなり、人生の落ち着きどころを決めるなり、方向転換しようと思っているが、自分がどうしたいのかがまだ見えていない。きっと、仕事であるかないかにかかわらず、楽しくて楽しくて仕方がない毎日はすぐそこにあるような気がする。今は、まだその夜明け前なのかもしれない。望めばいつか手に入る、そう思いながら生きてきた。

酒の肴はないけれど、友人知人に贈っていただいたミカンやラフランス、柿、と果物は豊富なこの頃である。酒飲みとしては1日に1個食べるか食べないか。それでもなんだか豊かな気分だなあ、果物が家にあるって。実家では、お正月の前には必ずミカンを箱買いしたものだ。それがどんなに誇らしい事だったのか、うれしい事だったのか、今となって父の気持ちを知るのである。

もうすぐ今年が終わる。これほど来年を心待ちにしていた事があっただろうか。
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by 4433yoshimi | 2013-12-18 17:39
カップル同士でもう20年ほどのつきあいになるAちゃん(妻)から、年末に乳ガンの手術をすると連絡があった。青天の霹靂である。
一回り以上年下のAちゃんと最初に出会った頃は、ご主人のK君は猛烈サラリーマンで、直後に会社を辞めた。人間らしい暮らしをしたかったのだろうと思うが、失業保険をもらいながら二人で近くの釣り堀なんか行ったりしてゆるゆるとした暮らしをしていて、大丈夫なのかなあと心配したものだ。それにしてもAチャンは会社を辞めたことを責めるでもなく、バイトをして暮らしを支えたり、本当に肝の据わった女だと感心した。
それからお互い子供のいない気軽さもあって、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり、時には器用なK君にいろいろと助けていただいたりもして気の置けない関係で今日まで。
すぐにご飯を食べにおいでとお誘いした。
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「ある晩、寝ていて目がぱっちりと冷めて、なんか胸のところがかゆいなあと触ったら、シコリがあったんです」
すぐに病院へ行ったAちゃんだったが、通常なら見逃されるタイプの乳ガンだったところを、いくつかのラッキーがあって発見されたとの事。触らせてもらったら、本当に小豆くらいの小さな塊が皮膚のすぐ下にあった。たった2泊の入院で終わる手術だという。それくらいなら体力を消耗する事もないだろうと安心するが、今後の食べ物に関してのアドバイスなどを細々としてしまう私だった。

「病院でガンだって知らされてKに電話した時は泣いちゃいました」
それはそうだろう。私も心で泣いた。本当に驚くよ。
もう15年以上になるだろうか。親友を乳ガンでなくした。今でも、彼女によく似た後ろ姿を見かけると、追いかけていって顔を確かめずにはいられない。もしも生きていたらこんなふうだったのかなあ、と彼女の生きられなかった今を思う。
ここ数年は、友人知人に乳ガンが続出した。ほとんどが生還しているが、こんなにもポピュラーな病気になってしまった事に暗澹とする。

f0207325_2023771.jpgその夜は、AちゃんとK君と吐渓と私の4人で、三重県の友人が送ってくれたものすごくおいしい日本酒を飲んだ。板橋区に住んでいる友人が送ってくれたおいしい干物を食べた。関西の叔母がベランダで干して作ってくれた干し柿も食べた。吐渓の空手の弟子のフランス人の母が送ってくれたフォアグラのペーストのトーストも食べた。従姉が送ってくれた関西の野菜で作ったキムチも食べた。いろんな人のおかげで生きているなあ。
来年はいろんな所に行っていろんな物を食べようと約束した。
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by 4433yoshimi | 2013-12-13 20:03

体も冬支度?

もう師走だなんて早いなあ。ちょっと早過ぎやしないかい?
風に誘われてカサコソ、枯れ葉たちのおしゃべりがうるさい道を歩いていると、胸が騒ぐ。まるで山の中を歩いている時のように。はっとして振り返ってもカモシカがいたりはしないのだけれど。
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先日、吐渓と荻窪の大田黒公園に紅葉を撮影しにいった。夜はライトアップされるというので昼間との違いを納めるため、3時くらいから夜まで、けっこう長時間滞在した。その前後は、自宅への行き帰り、それぞれ1時間近くかかったから、けっこうな歩きだ。それなのに私ときたらカメラのメディアを忘れてしまい、残念ながらiPadでの撮影だった。それでなくても夜景は難しいのに。

大学時代、この大田黒公園の近くに高校の同級生のM君が住んでいたので、よく訪れたものだった。北海道の同じ高校の数人が集まっての宴会は、今となっては何が楽しかったのかよくわからない。でも、その中の幾人かでインド安旅行に行ったりしていたのだから、面白かったんだろう。
M君は卒業後、政治家の自伝専門の出版社の営業で全国を唐草模様の風呂敷を背負って回っていた。北海道にUターンしたのは30歳を過ぎてからだったろうか。彼はその後、毎年欠かさず、今くらいの時期に自分でスモークしたベーコンやサーモンを送ってくれている。当初は塩辛かったりスモークが足りなかったりしたものだが、ここ数年はとてもおいしくなった。そのベーコンをベースにしたスープはとてもおいしい。我が家でご飯を食べた方が「このベーコンおいしいねえ」とおっしゃると、とても誇らしい気持ちになる。
私がM君に送るのは、昔はソーセージ作りの豚の腸だったり田舎では手に入らない食材だったりしたが、このところは生ラッキョウである。ラッキョウ好きの彼が、自分で作ってみたいと言っていたので送ってあげたら、それ以来、自分で1年分を漬けるようになった。
男女間の友情は有りや無しや、と議論されるが、絶対に有りでしょう。
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昨日から吐渓は博多に出張。一人だと手抜きご飯が多いのだが、今月はまめに調理している。やけにお腹がすくのは、体が冬支度しているせいなのでしょうか。
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by 4433yoshimi | 2013-12-06 17:20

塩麹ってすごいなあ

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土日でパートに行っている介護施設で、お世話している方が亡くなった。元気に歩いたり食事をしたりお話しされていたのに、ある日、転倒して骨折で入院。半月ほどで戻られたのだが、かなり衰弱されていた。それからわずか2カ月ほどで永眠。1週ごとに状況がみるみる悪くなっていくのに心が痛んだ。ご飯が食べられなくなったらお終いなんだなあ。
同じように食べられなくても、胃ろうされている方は肌つやはいいし、反応はなくても生命力はある。ただ、家族が訪問されてもただ、懇々と眠っている親を見ているだけ。家族がどちらを選ぶのか、本人が何を望むのか、生きることの意味が問われているようで悩ましい。吐渓はチューブにつながれてまでもの延命治療はいやだと言っているが、現場にいるとその境目がなかなかむずかしいと思うのである。私は、さてどうだろう。神様が生きていなさいと言うのなら、どんな様でも生きているべきだとは思うが、格別な信仰心を持たない私には寄る辺なき岸辺だ。なるようにしかならない。お金がなくちゃ、そんな治療だって受けられないのだろうし。命がお金の問題だと片づけるのも口惜しいと思うのである。

生きることは食べること、が基本な訳で、今日はたまたま思いついてやってみた鶏の塩麹漬けグリルがはてしなくおいしくてまいった。今年食べたおいしいものの3本の指に入りそう。骨付きのももを焼こうと思い立ち、昨夜、2本解凍。起きて紹興酒を投入、それから思いついてニンニクと北海道から持ち帰った塩麹も入れてみた。それから2時間ほどして焼いたのだが、いやああ、なんだこの美味さは、と唸ったのである。
北海道の母に電話したら、北海道は塩麹ブームとかで、イカの塩辛を塩麹で漬けたらおいしいと言っていた。さもありなん。塩麹、恐るべしである。

先週末は、私がまだ20代の頃からの編集仲間の快気宴会があって秋葉原の居酒屋へ。2年前に脳梗塞で倒れ、2カ月ほど、私が代理編集で切り抜けて復帰。ようやく先月、酒を飲めるようになったとのこと。当日集まったメンバーは、いずれも知り合ってから30年以上も経っているのに、過ぎた月日がまるで幻のようだ。みんなの白い頭が不思議。まるで20代が昨日のようなのだもの。
来年は、面白くない仕事はしないで生きようと決めた。さて、私にとって本当に面白いことってなんだろう。つらつら考える今日この頃なのである。
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by 4433yoshimi | 2013-12-02 12:48