ご飯・空手・渓の日記


by 4433yoshimi
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<   2015年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

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ピーター君がいなくなってから今日で3ヵ月がたった。明日から4ヵ月目に。こんなに長い間、離れていたのは、一緒になってから20年間で初めてのことだ。よく彼の不在を今日まで乗り切れてきたものだ。まだ心が千々に乱れては立て直し、の日々だけど。こうなると、彼が生きていてくれるのだろうか、ということが最大の心配事だ。もしかすると帰ってこられない事故が起きてしまったのではと考えると、いやはや、本当に難儀なことだなあ。きっと元気で帰ってきてくれると信じて毎日を過ごすしかない。

来週は明石に行ってマンションの掃除をしたり住む準備をしたりして、5月は再び友人と明石に遊びに行って、その後は母の白内障の手術の説明を受けに北海道に行き、そして6月は再び北海道に行って母の術後の世話をする予定。なんだか忙しいようだけど、そうして少しずつ時が過ぎ去っていくことが悩ましくもある。一気にどんと、1年後にならないものかしら。その間の記憶は失ったままでいいから。

4月の誕生日を迎えると、還暦になる。明石の従姉がお祝いをしてくれると言ってくれてるが、いやはや、普通にこんな年を迎えるようになるなんて、しかもこんな事態の中で迎えるようになるなんて、思いもしなかった。すごいなあ、若い時は何も考えずに誕生日を迎えていたけれど、60歳って、やはりいろんな意味で新たなスタートなのかしら。この先、何が待っているかわからないけれど、こんなハードな日々はもうありませんように。神さまにお願いしておこう。まあ、生きているだけでもうけもの、という言葉があるように、命への感謝は忘れないようにしなくては。
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by 4433yoshimi | 2015-03-20 15:39 | Comments(0)

空手少女のキラキラ

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いつ帰ってくるかわからない人を待つことはつらいことだけど、かなり慣れてきた。というか、絶対に帰ってくるだろうという確信が深まっているし、たとえ帰ってこなかったとしてもなんの悔いも失望もないと思う。あるがままを受け止めていくしかない。そこに少しの感動や喜びがあればいいなあ。

今日は午前中、浅草の道場まで空手の稽古に行った。午前中の稽古は、半数以上が主婦、残りが壮年の男性というメンバーだ。春休みだからか、お目にかかったことのない茶帯の少女が来ていた。ミット稽古では彼女とペアになったので、蹴りや突きを受けたり、受けてもらったり。さすがに小さい体で小回りがきくようで、体の切れもいいし、体感のねじりもよくできている。蹴りも的確だった。これまで、いい稽古をしてきたのだなあと思える動きだった。
いい汗を流して着替え中、彼女と2人きりになったので「何年生?」と尋ねてみた。
「中1です」
「そうか、これから強くなるね」
「ありがとうございます。先輩、黒帯をとられてすごいですね。私も黒帯を目指しているんですけど、なれる気がしません」
「大丈夫、ちゃんと稽古に出ていれば取れますよ」
すると彼女はとてもうれしそうにニッコリ笑った。
「そうですかねえ、先輩は何年で黒帯になったんですか?」
「9年くらいだったかなあ」
「私も今年9年目なんです」
「あら、じゃそろそろだね。きっと大丈夫だよ」
彼女の目がキラキラと輝いた。
中1というと13歳だろうか。ということは5歳くらいから空手をやっているんだ。むしろ私のほうがすごいなあと思わされた。そんなに小さな頃からずっと空手を続けているなんて、本当に偉い。つらいことから逃げない、はじめたことをあきらめない、人として本当の強さを身につけてきているのだろう。こんな子供がいるのだもの、日本は、地球は大丈夫だと思う。
黒帯というだけで私に敬意を払ってくれる、空手という世界にも感動した。ありがたいことである。
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帰宅途中に寄ったスーパーで、イワシが安かったので煮魚にした。味付けは梅酒を漬けたときの梅をつぶしたのと醤油だけ。あっさりしていてとても私好みの味に仕上がり、ビールがことさらおいしい。
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by 4433yoshimi | 2015-03-17 17:14 | Comments(0)

やればできるんだ

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昨年の12月21日からいなくなってしまったピーター君。絶望したよ。きっと帰ってくるという思いにすがりつつ、これからどうして生きていこうかと眠れない夜を過ごした。それまで、すべてのことをいつもふたりでやってきた。どこへ行くのも、何をするのも、できるだけふたりで協力して生きてきた。私ひとりでは何もできないと絶望した。けれど、処理しなければならないことが次々とわきあがってきて、さらに私を押しつぶしたのだった。

そんな日々の中で、明石に住もうと思い立ったのは、天命だったのかもしれない。
4年前の311直後、私とピーター君は、明石に住む従姉を頼って逃れた。1週間ほど滞在し、東京に帰ったら買えないかもしれない水やマスクなどを宅急便で送った。明石は人が優しくて、食べ物がおいしくて、とてもいいところだと思った。絶望の淵で、私は明石なら生きていけると思ったのかもしれない。
それ以降、心の傷から血を流しながら私はマンションの契約のために明石に行ったり区役所に行ったり、東京の家以外に持っている土地を売る算段をしたり、沼田の家で昨年仕込んだ味噌を取りに行ったり、理事をしているNPO法人の解散手続きに法務局まで行ったり来たりして、嵐のような日々を過ごしてきた。それはまだまだこれからも続くんだろう。

でも、自分ひとりでもできるんだと、ふと自分に感動したのだった。できそうもないと泣くばかりだったけど、やればできるんだ。そしてそれを一番わかっていたのはピーター君だったのかもしれない。私にはできると確信して、いなくなったのだろうと思う。いろんな場面で不安がる私を「大丈夫だから」といつも励ましてくれた。いろんな渓に行けたのも、彼の励ましとサポートがあったからだ。そして、空手を続けられたのも、ピーター君のおかげだった。ありがとう。感謝の言葉を聞いてほしかった。
きっとしかるべき時に帰ってきてくれるだろうと思いながら、私は自分の生きたい道を進むことにしよう。
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by 4433yoshimi | 2015-03-11 14:16 | Comments(0)
仕事のない日は、ネットで見つけたライター仕事の内職をしているが、これが単価が安いのなんの。たまーにはまあまあと思えるレベルのものもあるが、やってられないなあ、と思いつつも何もしないよりはいいかと時間制限のないものを選んでポチポチとやっていたりするのである。
ピーター君のいない日々にも少しずつ慣れてきている。どうしてこうなってしまったのかについては考えない日はないけれど、たぶんこれが一番の正解なのだと思うことにしている。ピーター君がそうすることを選んだのだから、そうなんだろうと、ね。どちらにせよ、楽しく過ごすにはどうしたらいいのかが、毎日のテーマ。そんな日々を積み重ねていけば、きっと幸せな日々になる。ピーター君が帰ってこようと帰ってこなかろうと、私の幸せは続くのである。
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今日は麻布十番で弟と嫁に会って昼食を食べた。予定していた店が時間が早すぎて入れなかったので、駅の近くの朝8時からやっているアメリカのダイナーみたいなお店に。弟はおすすめだというハンバーガー、嫁はキッシュセット、私はスパゲティミートソース。弟はベーコンとバンズのおいしさに感動し、嫁はお店で焼いているイチジクパンの作り方をチェックし、私は付け合わせのサラダに付いていたひよこ豆のサラダにニッコリ。ふたりともピーター君がいなくなった私を心配しているようだったが、意外に元気にしているのに安心したのか「いろいろ聞きたいことがあったけど、まあいいか」と弟。「人生って本当にいろいろあるんだなあと思いました」といまだに大阪出身なので関西なまりの嫁。ふたりからは、これまでに感じたことのない優しさと思いやりが伝わってきて、ちょっと心が温まったのだった。

先日、弟が帰省した際に、父が「お姉ちゃんがおれに120歳まで生きるというんだよ」と嘆いていたそうだ。私は長生きしてくださいと励ましているつもりなのに、本人には負担だったらしい。とてもナイーブな92歳。言葉のひとつひとつに神経がピキピキしている人なのだ。うっかりしたことは本人の前ではいえない。むずかしい年代なのかな。心穏やかに生きるのはむずかしい、と父を見ていてよく思う。
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by 4433yoshimi | 2015-03-09 16:48 | Comments(0)

人生は摩訶不思議

今年の秋か来年のお正月頃をめどに明石に拠点を移す予定だ。
高校を卒業してから上京し、以来、今年で60歳になる私。これまで積み重ねたすべてを整理して引越をするのは、いやはや難儀なことであるなあと実感する日々。
明石のいいところは野菜も魚もおいしくて安くて安全だし、適度な田舎なので人も親切でゆったりとしている。さらに叔母(母の妹)と従姉(母の兄の娘)が住んでいるので、あれこれと面倒を見てくれるのがありがたい。2月に明石のマンションを買った際にも、とてもお世話になった。物件の下見もしてくれたしね。
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明石が好きになったのは魚棚という魚市場の影響が大きい。従姉が折りにつけて魚棚の魚を送ってくれるのだが、これがすこぶるおいしい。311の震災時には、放射能を恐れてピーター君と明石に逃げてきた。ホテルにも泊まったが、数泊、叔母のマンションにもお世話になった。叔母はピーター君のことがとても気に入ったようだった。とてもよくしてくれて、おいしい手料理を満喫したのだった。

叔母は、もともと母と同様、京都の出身なのだが、私が子供の頃、私の北海道の実家に夫とともに居候していた。私が小学校に上がる頃に関西に戻り、以来、食べ物商売をしていたが、40歳代で娘を連れて家を出てから女手ひとつで子供を育て、60歳で仕事を辞めた。それ以来、まったく仕事をせずに預金だけで暮らしている。趣味の社交ダンスは市のサークルだからほとんど無料だし、ガスも電気も必要最低限しか使用していない。冬は私が寒くて困るほど始末しているのである。でも、60歳まで働いて、あとは仕事をしないで生きると決めて、それをまっとうしている叔母はすごいと思う。あやかりたいものである。しかも、楚々とした佳人で、どこでも連れていってくれるアッシー君はいるし、私の従姉もこまめに叔母の面倒を見ている。
「おばちゃん、60歳から仕事しないで生きてきたんやで。まあ、それまで苦労はしたけど」
と緩やかな笑みを浮かべるおばちゃん。
私が買ったマンションは、叔母の家から15分ほどの場所にある。一緒にご飯を食べたり温泉に行ったり、おうどんやおこのみ食べに行ったりするのが本当に楽しみなのである。
年を取っても、優雅にたおやかに、楚々としていきたいものだなあ、おばちゃんみたいに。
人生は摩訶不思議。
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by 4433yoshimi | 2015-03-02 19:47 | Comments(0)