ご飯・空手・渓の日記


by 4433yoshimi
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還暦になりましたよ

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知らないうちにブログのアップが1000回を超えていた。今日で1004回目。2001年の暮れから始めて13年が経過した。その当時の文章を読んでみると、なるほど若いわ。竹を割ったような言いまわしが、傍若無人な印象だ。長い道のりのようでもあるけれど、あっという間の出来事だったような気もする。まるで浦島太郎のような近頃の私。鯛やヒラメの舞い踊りを散々楽しんだなあととなつかしむ。ついでに写真アルバムを見てみると、いやはや隔世の感あり。私もピーター君も若かった。それでも「もっと若い時に出会っていたらケンカしてすぐに別れていただろうね」と言い合っていたのだから、どんだけ鼻っ柱が強いふたりなんだか、と笑える。

今日はT君夫妻が、私の誕生日のお祝いの飲み会に誘ってくれた。このところ外飲みは空手の稽古の帰りくらいしかないから、なんだか楽しみ。北海道の地ビールが飲めるお店らしい。雨が止んだら出かけよう。

お誕生日会から帰宅。T君夫妻からのプレゼントは、還暦ということで山ウエアの赤いベストと赤白縞々のシャツ。今年はこれで山を歩こう。ご飯までご馳走になった。最後にいただいた土鍋の炊き込みご飯がとてもおいしかった。
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一夜明け、朝から空手の稽古に出かけて帰宅して、今晩泊まりに来てくれるヨーコちゃんの晩ご飯用に鰯の韓国風煮付けとゴボウとコンニャクと油揚げの煮物を炊いた。ヨーコちゃんはまだピーター君の失踪を公にしていなかった頃から心配して、様子見で泊まりに来てくれている。晩ご飯と翌日の朝ご飯とお弁当作りのついでに自分のご飯もちゃんといただけるのでありがたい。本当に苦しかった日々から脱却したけれど、まだまだだなあと思うこの頃。ジェットコースターの日々から、早くのんびりゆったり、たゆたうような心持ちになりたいものだ。
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声をかけてくれる、心配してくれる仲間が本当にありがたい。いつか本当に晴れ晴れとした気分でお礼をしたいなあと思いつつ、もうちょっと待ってね、と時間の経過に身を任せている。何が起きても起きなくても、自分の運命をちゃんと受け止めようと真摯に思うのであった。
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# by 4433yoshimi | 2015-04-09 16:18 | Comments(0)

移住計画、進行中

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今日は50歳代最後の一日。半世紀生きてきたんだ。すごい。自分がそんな年になるなんて、まったく想像していなかった。ごく普通にここまで来たけれど。
明石への移住計画が着々と進んでいる。先週は往復ぷらっとこだまで4泊5日、マンションに泊まってきた。沼田の家にあった一番軽い敷き布団と掛け布団を持参したのだが、いや重かったのなんの。家で単体で持ってみると「なんだ、こんなものか」と思っていたのに、じわじわと重さが背中に、腕に、脚に来る。ようやく到着したマンションは思ったよりも快適で、来年からはずっとここに住むのだなあという実感が喜びとともに湧いたのだった。毎日拭きそうじをしたり、台所や風呂用品を買ってきたり、魚棚に魚を見に行ったり、明石公園に桜の開花状況をチェックしに行ったりした。そして帰る前夜、従姉夫婦と叔母を呼び、ささやかな食事会をさせて頂いた。穴子寿司と笹寿司、丹波鶏の塩麹焼き、シロナのお浸し、アサリうどん、イチゴなど。冷蔵庫もないし調理器具もほとんどないので簡単料理だったが、とても喜んでくれた。叔母は「よしみが明石にこうしているなんて、夢のようやわ」と何度も独り言のようにつぶやく。子供の頃から大好きだったおばちゃんが喜んでくれることがとてもうれしかった。
帰りの新幹線では、名古屋から隣に85歳のおばあさまが座られて、名古屋でひとり暮らしだったのに東京の息子さんの家に同居していること、家の前が階段と坂道で大変なこと、70歳まで新聞配達をしていたことなどを伺いながら楽しくお話しさせていただいた。「これ私が作ったの、バスとかでも隣の人にさしあげてるの、ご縁だから」と5円玉にヒモを巻いて作った亀のお守りをくださった。とても気丈で情の深い方だった。人間、長く生きているといろんなことがあるだろうに、さらりと達観して生きていることが見事だ。私もかくありたいものだと思った。
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明日は60歳の誕生日。数日前、母に「明石に冷蔵庫がほしいけれど、いいのは高いからあきらめる。型落ちの安いのをネットで注文するよ」といっていたら、叔母から電話があり、引越祝いに従姉と一緒に冷蔵庫を買ってくれるとのこと。「一番いいのにしなさい」とのことで、ねじ伏せられるように本当にほしい冷蔵庫を買ってもらえることになった。涙が出るほどうれしい、食いしん坊の私。理想の冷蔵庫を手に入れて、どんな料理を作ろうか、胸が高鳴るのである。
ごめんさない。本当に一番食べてほしい人は吐渓です。
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# by 4433yoshimi | 2015-04-02 16:55 | Comments(0)
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ピーター君がいなくなってから今日で3ヵ月がたった。明日から4ヵ月目に。こんなに長い間、離れていたのは、一緒になってから20年間で初めてのことだ。よく彼の不在を今日まで乗り切れてきたものだ。まだ心が千々に乱れては立て直し、の日々だけど。こうなると、彼が生きていてくれるのだろうか、ということが最大の心配事だ。もしかすると帰ってこられない事故が起きてしまったのではと考えると、いやはや、本当に難儀なことだなあ。きっと元気で帰ってきてくれると信じて毎日を過ごすしかない。

来週は明石に行ってマンションの掃除をしたり住む準備をしたりして、5月は再び友人と明石に遊びに行って、その後は母の白内障の手術の説明を受けに北海道に行き、そして6月は再び北海道に行って母の術後の世話をする予定。なんだか忙しいようだけど、そうして少しずつ時が過ぎ去っていくことが悩ましくもある。一気にどんと、1年後にならないものかしら。その間の記憶は失ったままでいいから。

4月の誕生日を迎えると、還暦になる。明石の従姉がお祝いをしてくれると言ってくれてるが、いやはや、普通にこんな年を迎えるようになるなんて、しかもこんな事態の中で迎えるようになるなんて、思いもしなかった。すごいなあ、若い時は何も考えずに誕生日を迎えていたけれど、60歳って、やはりいろんな意味で新たなスタートなのかしら。この先、何が待っているかわからないけれど、こんなハードな日々はもうありませんように。神さまにお願いしておこう。まあ、生きているだけでもうけもの、という言葉があるように、命への感謝は忘れないようにしなくては。
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# by 4433yoshimi | 2015-03-20 15:39 | Comments(0)

空手少女のキラキラ

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いつ帰ってくるかわからない人を待つことはつらいことだけど、かなり慣れてきた。というか、絶対に帰ってくるだろうという確信が深まっているし、たとえ帰ってこなかったとしてもなんの悔いも失望もないと思う。あるがままを受け止めていくしかない。そこに少しの感動や喜びがあればいいなあ。

今日は午前中、浅草の道場まで空手の稽古に行った。午前中の稽古は、半数以上が主婦、残りが壮年の男性というメンバーだ。春休みだからか、お目にかかったことのない茶帯の少女が来ていた。ミット稽古では彼女とペアになったので、蹴りや突きを受けたり、受けてもらったり。さすがに小さい体で小回りがきくようで、体の切れもいいし、体感のねじりもよくできている。蹴りも的確だった。これまで、いい稽古をしてきたのだなあと思える動きだった。
いい汗を流して着替え中、彼女と2人きりになったので「何年生?」と尋ねてみた。
「中1です」
「そうか、これから強くなるね」
「ありがとうございます。先輩、黒帯をとられてすごいですね。私も黒帯を目指しているんですけど、なれる気がしません」
「大丈夫、ちゃんと稽古に出ていれば取れますよ」
すると彼女はとてもうれしそうにニッコリ笑った。
「そうですかねえ、先輩は何年で黒帯になったんですか?」
「9年くらいだったかなあ」
「私も今年9年目なんです」
「あら、じゃそろそろだね。きっと大丈夫だよ」
彼女の目がキラキラと輝いた。
中1というと13歳だろうか。ということは5歳くらいから空手をやっているんだ。むしろ私のほうがすごいなあと思わされた。そんなに小さな頃からずっと空手を続けているなんて、本当に偉い。つらいことから逃げない、はじめたことをあきらめない、人として本当の強さを身につけてきているのだろう。こんな子供がいるのだもの、日本は、地球は大丈夫だと思う。
黒帯というだけで私に敬意を払ってくれる、空手という世界にも感動した。ありがたいことである。
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帰宅途中に寄ったスーパーで、イワシが安かったので煮魚にした。味付けは梅酒を漬けたときの梅をつぶしたのと醤油だけ。あっさりしていてとても私好みの味に仕上がり、ビールがことさらおいしい。
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# by 4433yoshimi | 2015-03-17 17:14 | Comments(0)

やればできるんだ

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昨年の12月21日からいなくなってしまったピーター君。絶望したよ。きっと帰ってくるという思いにすがりつつ、これからどうして生きていこうかと眠れない夜を過ごした。それまで、すべてのことをいつもふたりでやってきた。どこへ行くのも、何をするのも、できるだけふたりで協力して生きてきた。私ひとりでは何もできないと絶望した。けれど、処理しなければならないことが次々とわきあがってきて、さらに私を押しつぶしたのだった。

そんな日々の中で、明石に住もうと思い立ったのは、天命だったのかもしれない。
4年前の311直後、私とピーター君は、明石に住む従姉を頼って逃れた。1週間ほど滞在し、東京に帰ったら買えないかもしれない水やマスクなどを宅急便で送った。明石は人が優しくて、食べ物がおいしくて、とてもいいところだと思った。絶望の淵で、私は明石なら生きていけると思ったのかもしれない。
それ以降、心の傷から血を流しながら私はマンションの契約のために明石に行ったり区役所に行ったり、東京の家以外に持っている土地を売る算段をしたり、沼田の家で昨年仕込んだ味噌を取りに行ったり、理事をしているNPO法人の解散手続きに法務局まで行ったり来たりして、嵐のような日々を過ごしてきた。それはまだまだこれからも続くんだろう。

でも、自分ひとりでもできるんだと、ふと自分に感動したのだった。できそうもないと泣くばかりだったけど、やればできるんだ。そしてそれを一番わかっていたのはピーター君だったのかもしれない。私にはできると確信して、いなくなったのだろうと思う。いろんな場面で不安がる私を「大丈夫だから」といつも励ましてくれた。いろんな渓に行けたのも、彼の励ましとサポートがあったからだ。そして、空手を続けられたのも、ピーター君のおかげだった。ありがとう。感謝の言葉を聞いてほしかった。
きっとしかるべき時に帰ってきてくれるだろうと思いながら、私は自分の生きたい道を進むことにしよう。
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# by 4433yoshimi | 2015-03-11 14:16 | Comments(0)