子供の頃はおしゃべりで陽気な子どもだった。北海道の田舎町で私達は育った。歩いて数分の距離に住んでいたから、小さい頃はよく遊んだものだ。お転婆だった私は、彼を子分のように従えて冒険に出かけたりもした。目がくりくりと良く動く、頭の大きな天然パーマの彼は、お茶目で気のいい笑いを誘うキャラだった。
十代の後半で前後して私達は東京へ。お互いひとり暮らしだったから1ヵ月に一度くらい会って食事をしたりカラオケ屋に行ったり、まるで本当の弟のようにつきあってきたつもりだった。
それがある年、何かの拍子でケンカになり、彼にとって私はそれほど好きな人ではないのだと気づかされた。まるで乗り越えるべき父を乗り越えることができなくて挫折した息子のように、私にある種の憎しみすら抱いていたのだと知ったことは衝撃だった。愛されてはいなかったのだ。それでも私は両親を亡くした彼を何かと気遣い、つかず離れずの距離で見守ってきた。
数年前から彼は、原因不明の体の不調に悩み、あちこちの病院を渡り歩くようになった。そしてたどり着いたのが心療内科だった。それ以来ずっと薬を飲んでいる。一時は仕事も出来ないほど朦朧としていたが、ようやく薬の量と種類があってきたのか、最近はごく普通に仕事もし、会話もしている。
けれど、それはもう私の知っている彼ではない。私の知っている快活でよく笑い、よくしゃべり、そして時には腹の底から怒り嘆く彼は、もう死んでしまったんだ。彼は別の人になったんだなあとしみじみ思う。それでも彼の命が続いていることが大事だから、昔の彼が死んでしまうのは仕方がなかったことなんだろう。
そのことを自分に納得させるのに、あともう少し時間がかかりそうだ。
子供の頃の彼の無邪気な笑顔が、やるせない思い出になった。
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by 4433yoshimi
| 2013-12-26 11:07