ご飯・空手・渓の日記


by 4433yoshimi
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ウナ・セラ・ディ よしみ

かつて、これほどまでにネジをじっくり観察したことはなかった。トイレの壁の白いタイルに埋め込まれた2個のプラスのネジ。両方とも完全に壁に埋まっておらず、頭が5ミリほど浮いている。右のはごくありきたりのシルバーだが、左のは少し黒く、頭に刻まれたプラスの溝が赤くなっている。
そのネジの下には、作品に関するメモ用紙が貼られていた・
「~光太郎を偲んで~云々」
不思議だが、芸術ってこんなものだと思い込んでいた。

よく訪れる新潟県の十日町市には、芸術家達の作品が道端や公園にあちこち展示されていて、それが「案山子」だの「洗濯物」だったりするものだから、ああ、芸術って、言い張ればなんでも作品になっちゃうんだなあと。

その日、高円寺の飲み食べ屋「眉山亭」のママさんと、彼女の何十年来の友人で、お店の常連客でもあるAさん、私の3人で、阿佐ヶ谷「ラピュタ」に映画を観に行った。ザ・ピーナツの歌で大流行した『ウナ・セラ・ディ東京』(1965年)の映画化で、主演が絶世の美女、鰐淵晴子である。ストーリーは期待できないが、彼女が最も美しかったであろう時代の姿形を愛でるだけでもいいじゃない、と思ったのさ。
期待通り、いくら見続けても見飽きない美女っぷりであった。美しいということは、もしかすると見飽きないということなのかもしれない。それすらもやがて見飽きるのだろうが、飽きるまでの時間の長さが美しさに比例しているような気がする。
ストーリーも想像を上回るおもしろさ。当時の服装や街並みもとても興味深く、最後まで楽しく観ることができた。
さらに、現在私が通っている空手の道場の大幹部であるMさんが悪役で登場。数ヶ月前の世界大会で、ケータリングサービス担当の私がお茶をお出しした方だ。今や白髪の穏やかそうな紳士が、若い頃はこんな美男で、しかもニヒルな青年だったとは。まるで捨てられてひねくれた犬のような哀しい目をしていた。

その映画の帰り、私達はママさんのお誘いで、阿佐ヶ谷パール街の洋品店「すみれ」の奥にある画廊喫茶へ向かった。お客様であるアーティスト・MOMOさんの個展の初日なのだ。伺うと、折良くMOMOさんがいらして、壁に飾られている絵や木彫を拝見しながらしばし歓談。そうしてMOMOさんは、「ここのトイレにも作品があるので見ていってください」とお店を去っていった。
「私、見に行ってくる!」
とAさん。もどってくると、
「ないわ。どこにもなかった」
じゃ私が。というわけでじっくり冒頭に期したように作品(ネジ)を堪能し、意気揚々と引き上げた。
「あったわよ。ネジよ、ネジ!」
「うそー、作風がまったく違うわよ。なんか作品を掛けるようなフックがあったけど、作品がないの。もしかすると盗まれたんじゃ……」
Aさんにそう言われると、確かにネジなんて突飛すぎるという気もしてくる。
「でも、その下に、メモがあって、光太郎を偲んで、とか書いてありましたよ。光太郎さんて知人が亡くなったんじゃ…」
「違うわよ。高村光太郎よ。彼も彫刻家だったから」
赤っ恥の私。高村光太郎はてっきり作家だと思っていたけれど、彫刻家でもあったのですね。
「よし、私が見てくる!」
ママさん突撃&帰還。
「ないわよねえ。確かにフックがあるんだけど、作品はなかった」
意を決したママさんが、お店の方に伺うと、旧式の水洗タンクの水を流す時に引っ張る鎖の、先端に付いていた木のカバーだとのこと。確かにそれは、きれいなラインを描き、すべやかさといい大きさといい、とても洗練されたものだった。

あんなに眺めたネジは、真っ赤な偽物だった。

ちなみに、“ウナ・セラ・ディ”とは、イタリア語で“たそがれの”という意味だそうだ。映画の冒頭とラストシーンは、昭和の東京の、もの悲しいたそがれの街の風景だった。
その日の私の心もたそがれました。

ネジだと思ったんです。マジで。

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※写真は、お出かけ仕事だった前日、吐渓に作った松花堂弁当(肉団子・ブロッコリー・ホタテ照り焼き・紅ショウガ・ポテトサラダの残りのお焼き・玄米)
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by 4433yoshimi | 2009-12-11 14:20