冷凍庫を見ると、洋服とよく似ているなあと思う。最近は、しまい込んで忘れ去られた物を引っ張り出して、せっせと片付けるようになったので、ようやくスッキリしてきた。この勢いで服も手がけてみようか。片付け物は吐渓が福岡出張中がチャンス。心ゆくまで広げて出して整理して、捨てるべき物を捨てられる。先月は家中の引き出しや棚を整理した。おかげでかなり物の配置が仕分けられて使いやすくなったと思うのだが、吐渓はどうも不満げ。ひそかに何かを捨てられているという疑心暗鬼をぬぐえないのだろう。昔はよくあったが、このところは捨てることはしないのだけれど。
子どもの頃、冷蔵庫がなかった。食材は、その日その日に母が買い出しに出かける。それについていくのがとても好きだった、楽しかった。時には、お使いに出されもした。たまの贅沢に作ってくれたサンドイッチ。私はいつも歩いて5分のデパートの地下食料品売り場にハムを5枚、買いに行ったものだった。今でも目に浮かぶ一番奥の肉売り場のウインドー。ハム5枚が至福を運んでくれたのだった。
会社勤めから独立して軌道に乗ったバブルの頃は、どれだけの洋服を買ったことだろう。友達と毎月、行きつけのお店に出かけて試着して見定め、洋服を買うのがレジャーだった。あー、こんなに買ってしまったと月末に後悔するのだが、よし、来月、もっと稼ごうと気合が入ったものだ。その頃買った服が、まだ残っている。もう捨ててもいい頃かもしれない。
たくさん残っていて始末に困る物として、写真がある。いつか見返す時があるかもしれないと思うのだけれど、たぶんないだろうな。どれを捨ててどれを残すか、思案する。買い物の場合、迷ったら買う、というのが基本だけれど、ストックされたものは迷ったら捨てる、が正解なんだろう。きりがないから。
火事で焼け出された女性のお世話をする機会があった。残った物は着ていた洋服と指輪だけ。亡くなった台湾人のご主人に、新婚の頃に買ってもらったという翡翠の指輪を、愛おしそうに触れていた盲目のおばあさんの、決然とした覚悟に心打たれた。目が見えなくても、火事ですべての物を無くしても、ひとりで生きていくことに前向きだった。気概があった。とても素敵な人だった。
明日は入谷の朝顔市の写真を撮りにいく。いついつまでも残しておきたい1枚が撮れますように。
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by 4433yoshimi
| 2014-07-07 19:40